2009年11月01日
Hubert Kah - Sound Of My Heart (1989)

1989年/国内盤/CBSソニー(解説:大鷹俊一)
世間的にはヒット曲「エンジェル07」のイメージが最もしっくり来るのだろうけど、遅れて来た聴き手の僕としては前作収録の「リムジン」がやはり一番のお気に入りなので、こっちを代表曲に推したい気持ちで一杯な彼等の、国内リリース盤としては2作目にあたるアルバム(ドイツ本国では数枚リリース経験あり)。しばらくブランクがあったのでちょっとリハビリ的な作風に落ち着いたりしてるのかな、と思いきや、ドロップされた中身を聴いて一安心。こちらの心配を一気に杞憂へと変える、下世話なユーロ・ビートと果てしない漸近線を描く愁いを帯びた美麗なユーロ・ポップがズラリ10曲。いかにもヨーロッパ勢らしいコンセプト不明なジャケット周りのアートワークと併せて、この枠における定番商品としてのヒューバート・カーの面目をしっかり保った一枚に仕上がっている。ロックにユーロ・ビートのリズムは有効か?みたいな議論も当時一部であったけれども、ハウス・サウンドの出現によってその辺もすっかり解決済みの模様。今は素直にこのヨーロピアニズムを堪能すればいいだけの話。
2009年10月31日
The Twang - Love It When I Feel Like This (2007)

2007年/国内盤/制作:ユニバーサル・インターナショナル 発売・販売:ユニバーサル・ミュージック(解説:妹沢奈美)
本作のリリース当時、僕は一度CDショップの試聴機で収録曲を一通り聴いている。にも関わらず、その時には食指は動かなかった。改めて本盤を保護しようと思ったのは、たまたま彼等の新曲をラジオで耳にしたから。こんなバンドだったっけ!?というのがその時の正直な感想。それ位良かった。じゃあ1stを試聴機で聴いた時に感じた微妙な齟齬感の正体は一体何だったんだ?と思いあぐねていたら、先日音楽メディア上でひっそりと伝えられたニュースを目にしてハタと気付いた。これ、フラワード・アップのヴァージョン・アップ版じゃん!ウェル・プロデュース、との形容が批判に繋がるギリギリのラインで展開されるクリアでシャープなギター・サウンドに、楽曲の世界観お構い無しにテンパったヴォーカル(このバンドはダブル・ヴォーカルだが)が乗っかるスタイルは、正に在りし日のフラワード・アップそのもの。バンドを組むきっかけがオアシスだったというのは流石に世代間較差を感じるけど、フィニッシュ感よりスピリットを優先させた姿勢には十分好感が持てる。リアム・マーヘルにも是非聴いて貰いたかった。
2009年10月25日
Tiago Iorc - Let Yourself In (2008)

2008年/国内盤/ビクター・エンタテインメント(解説:松永尚久)
本年度の復レ・アワードに間違い無くランクインするだろう一枚(と、買って帰って以来意気込んでたら原盤のリリースは去年じゃねえか!)。ラテン・アメリカのTVドラマで使用されて大ヒットしたというM4を最初ラジオで耳にして「あれ?この曲ウチにあるCDのどれかに入ってたっけ?」とトラックの中で必死に我が家のライブラリーを反芻したものの思い当たらず、そうこうしている内にDJが名前を紹介してホカホカの新人であることが判明。むうう、流石は情熱の国ブラジル、まだこんな逸材を残していやがったとは・・・。ビートルズとテンプテーションズの微妙なカヴァー曲2曲はひとまず置いておくとして、彼自身のペンによる、若人らしい逡巡と恋人への嘆願を端正に綴ったオリジナルの数々は、極東の37歳のオッサンのハートをも鷲掴みしてくれた。人をして或いは本作をジェイムス・テイラーやジャクソン・ブラウン等の70年代を彩ったSSW達に準えて語らせることも多かろうが、個人的には、本当に卑近な例で申し訳無いが日本の安全地帯の2、3作目辺りを想起させられた点でノックアウト。
Bluerunners - The Chateau Chuck (1994)

1994年/国内盤/センチュリー・レコーズ(解説:無記名)
ザディコに代表されるケイジャン・ミュージックを通底音に、ラテンやブルース、ロカビリーにカントリー、時にはハワイアンの要素まで取り入れて、鍋から吹き零れんばかりのごった煮サウンドを展開するアメリカはカルフォルニア州ラファイエット出身の4人組。バンド名がルイジアナの湿地帯魚にちなんで命名されている点からも、彼等のルーツ・ミュージック、ひいては故郷に対する並々ならぬこだわり様が伝わろうというもの(ラファイエットにはケイジャンの子孫が多く住む)。本作はセカンド・アルバムで、我が国でのリリースが叶った唯一の盤だと思われる。聴いているというと、ロス・ロボスやデヴィッド・リンドレー、リトル・フィートといった名前が浮かんでは消えていくが、この人達はそれ等にも増して徹底したルーツ探求に励み、そこに宿る土俗性から新たなオリジナリティを見出そうとしている模様。事実、ギターに匹敵する比重でアコーディオン等の楽器が縦横に跋扈し、あまり名前を聞き慣れない打楽器の音も連打される中にあって、マーク・モーの歌声はパンキッシュなまでに熱い。埋もれた良盤だ。
2009年10月18日
Kitchens Of Distinction - The Death Of Cool (1992)

1992年/国内盤/日本コロムビア(解説:今泉惠子)
90年代レイヴ・カルチャーとリンクしつつ果てしなく膨張していったUKギター・ロックの陰の部分をひっそりと支えた好バンドによる、今聴き返しても泣きたくなる位素晴しいセカンド・アルバム。必殺の一曲がある訳ではない。これだけは譲れぬ、との強固なメッセージがあるでもない。ましてや時代がかった音楽デモンに衝き動かされて作曲作業に否応無く首っ引きになっている訳では決してない。あくまで市井の一音楽ファンからスタートした普通のイギリス人3人の手によって繰り出されるサウンドが、何故こうまで清冽に聴こえるのか。シューゲイザーを名乗るほど自意識過剰でなく、ネオアコにカテゴライズするには逞し過ぎる。かといってニュー・ウェイヴかといえば、先達の多くが犯した己の感受性に過剰なドラマツルギーを加味したりする愚挙に及ぶまでもない。僕が思うに、本作こそUK組が各ジャンルへ分派する基点となるアルバムといえるのではないか。ヒュー・ジョーンズもその辺を弁えてか実に的確なプロデュース・ワークを行っている。これだけ地に足のついた作品はそうはない。
Swan Dive - Circle (1998)

1998年/国内盤/V2レコーズ(解説:リード・ヘイスティングス)
今でいうとザ・サブマリンズを先取りしたみたいな風情を漂わせている2人組(こっちは多分夫婦じゃないだろうけど)といえるかも知れない。60~70年代ポップスのフレーヴァーたっぷりの、飛び切りチャーミングなポップ・ロックを奏でる男女デュオによる傑作サード・アルバム。今作もまた、ミンティ・フレッシュ辺りに在籍してたら結構な稼ぎ柱になっていたかも、と想像させるような、晴れた日曜の午前中にベランダに出てビール片手にまったりと楽しみたい楽曲がギッシリ詰め込まれている。有名な「ナッシュビルのレコード・ショップのセルジオ・メンデスのコーナーの前で出逢ったのが結成のきっかけ」というエピソードが実にお似合い、というか出来過ぎな感じで、当初はプロモ用の捏造話なんじゃないの?とか疑ってしまったけれど、それは薄汚れたオッサンリスナーによる下衆の勘繰りというもの。そのエピソードの醸す微笑ましさに相応しい、音楽愛という陽光を全身に浴びた温故知新サウンドが全13曲。トニー・アッシャーとアンディ・スターマーがゲスト参加。
Daryl Hall & John Oates - Our Kind Of Soul (2004)

2004年/国内盤/ビクターエンタテインメント(解説:東郷かおる子)
80年代にブルー・アイド・ソウルのトップランナーとしてシーンを牽引した偉大なるポップ・デュオが、結成34年目にして放った集大成的カヴァー・アルバム。彼等がまだ学生だった頃にフィラデルフィアの空の下で毎日浴びる様に聴いて来たソウル・ナンバーの数々を、最高の敬意を込めて再解釈。フォー・トップスやテンプテーションズ、マーヴィン・ゲイやアル・グリーンといった「先輩」達の作品が、ここに鮮やかに甦った。いやしかしこれは凄いアルバムだ。何が凄いといって、彼等自身のオリジナルの新曲も3曲含まれているとはいえ、巷に溢れるカヴァー・アルバムにありがちな企画物っぽい安直さを飛び越えて、あたかも全曲ニュー・マテリアルのオリジナル・アルバムであるかの如き様相を呈している点。原典にリスペクトを捧げると見せかけて実は己の音楽的アイデンティティーを誇示しようとする姑息さが微塵も感じられず、正に歌うべき「器」が出来た、と高らかに宣言する二人の意気揚々たる様が手に取るように伝わって来る。キャリアが僕の実年齢と同じ人等はやっぱ違うわ。
2009年10月12日
Chickasaw Mudd Puppies - 8 Track Stomp (1991)

1991年/国内盤/ポリドール(解説:大友博)
伝説のブルース・マン、ウィリー・ディクソンとR.E.M.のマイケル・スタイプとが共同プロデュースを買って出た、ジョージア州はアセンズ出身のスワンプ・ロック・デュオによるデビュー・フル・アルバム(先にミニ・アルバムあり)。元来音楽は好きだったけれど楽器なぞほとんど練習して来なかったという美大崩れの二人だけあって、ここでの演奏もかなりグダグダ。スカスカな音の隙間から、酒と煙草とペンキと埃とが入り混じった匂いがじわっと漏れ出してくるかのようだ。一応誉める方向で書けば、ルーズさをポーズとしてでなく生来のものとしてリスナーに納得させるだけの風格すら漂っている、となろう。では件のウィリー・ディクソンとマイケル・スタイプが本作でどのような手腕を揮っているのかというと、こりゃ日曜日の川辺の草野球に嵩じる小学生に同伴した父親の視線だな。余計な手出しはせず、後ろで二人の演奏を見守りながら時折機材のより良い使い方とかをアドバイスする程度。最小限の軌道修正のおかげで、こんな愛すべきガラクタ・スワンピー・ロックが生まれた。結果オーライ。
Underground Lovers - Dream It Down (1994)

1994年/国内盤/ポリドール(解説:山田道成)
オージー・ロックというと、何処かもたついてて田舎臭いイメージが先行してどうにも食指が動かない状況がずっと続いている。稀にザ・ゴー・ビトウィーンズやミッドナイト・オイル、それに最近ではテンパー・トラップ等の貴重な例外に出会いはするが、それでもかの国から出て来るアーティストには初見であらかじめ独自のフィルターをかけてしまう。要するに、いざ己の音楽的根拠が危うくなるとすぐ「大陸的」なる形容詞に阿ようとする風潮がアメリカ以上に濃いんじゃないか?との疑念がずっと付いて離れないのだ。全体に雰囲気の解釈が大雑把で、しかもUK/USからの天下りっぽい感じで進む為、二番煎じとの印象が常に拭えないのは致命的だろう。メルボルン出身の5人組による本作も、ヴェルヴェッツ・フォロワー足り得たい!との狙いはそのバンド名から如実に伝わって来るものの、結局は外部の人間の手を借りねばならなかったのか、との惜念の方が勝ってしまう。クオリティの高さがまるで周到に用意されたそれであるかのような。これまた不公平な色眼鏡か。M2、M7は出色。
2009年10月04日
Peter Bjorn And John - Writer's Block (2006)

2006年/国内盤/コロムビアミュージックエンターテインメント(解説:伊藤英嗣)
通称“口笛ソング”たるM3が本国スウェーデンのみならずイギリスでも大ヒットし、我が国でも同曲が缶コーヒーのCMソングに起用された事で結構な話題となった曲者トリオによるサード・アルバム。間口は広いが、一旦嵌ったら容易には抜け出せない中毒性を孕んだジャンルレス・ポップとして並々ならぬ完成度を誇る。個人的には、デセンバリスツ(大好き)やアイ・アム・クルート(これまた大好き)といった、フォーキーでありつつほんのりサイケデリック、ソリッドなれど存分にソウルフルなストレンジ・人肌ソングを身上とする連中と同じ系譜に位置するバンドとの印象を持った。単一的な喜怒哀楽に帰属しない微妙な感情の襞を掬いとってみせながら、00年代ポップスとしての体裁をまるで崩さないバランス感覚がまずもって素晴しい。国内盤ボーナス・トラックのM3ヴァージョン違い4連続には正直辟易させられるけれど、邪魔なら正規の曲目だけエディットすれば済む話。とにかく、目まぐるしいシーンの変遷にあって、聴いた者に着実なインパクトを残す一枚といえる。